60おじさん!日記

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21年前の Kawasaki Works Team OB会
NPO法人「The Good Times」http://www.thegoodtimes.jp/7月に無事設立になった。
理事の一員としてそのHP内のブログに21年前に開催した
「 Kawasaki Works Team 25周年 OB会」を投稿した。

二枚の写真を貼り付けたが古谷理事長に「タイムリーですごく良い写真」とお褒め頂いた。
そこでもう一枚用意してある、これもとても貴重なワンシーンである。
それは新旧ロードライダーグループにモトクロスライダーである私が堂々と入っているシーンである!
これは私がまぎれも無くKawasakiロードレースメンバーに所属していた事?を立証しているカットである!

そうなんです、私がKawasakiバイクを一番最初に鈴鹿を走らせそして幸運にも表彰台に立ったのです!
そう言う訳でKiyoさんや、金谷は私に感謝しなさい?と豪語してる21年前の60オヤジです!

現MFJロードレース委員長の杉本五十洋氏の顔も見えます。

ついでにその時、新旧ライダーだけで写したカットもお見せいたしましょう。


更に全参加者の記念写真もカラーでアップです。
| 60おじさん! | 「懐かしのモトクロス思い出」シリーズ | 20:46 | comments(10) | - |
MCFAJ 第10回全日本モトクロス選手権大会
長らくサボっていました、申し訳有りません。

今回はうんと戻ってモトクロス創明期の懐かしい話です!
それと言うのも今回八重洲出版より昭和二輪レース史「浅間から世界GPへの道」が出版になり早々に送って来て頂いた。ありがとう御座いました。

約200ページの立派な作りに懐かしのレースシーン満載で、DVDも特別付録されている、ちなみに本体¥4.200-+税です。是非貴方のコレクションに!

勿論私もあちこちに登場いたしますレースファンは必見の本です。

昭和二輪レース史「浅間から世界GPへの道」八重洲出版


私が始めて全日本を見たのは昭和37年秋、伊豆熱海の十国高原で行われたMCFAJ第7回全日本MX選手権です。
国鉄の急行で単身観戦でした、50クラスはトーハツランペットの長谷見昌弘、125クラスは久保和夫さん、熱海フィールドランは荒井市次さんが優勝したのを覚えています。

翌年の昭和38年秋に同じ十国高原の第9回全日本MXに加古川からオート三輪で遠征、初出場デビューしました。
しかし井の中の蛙がごとく、せっかくの西兵庫代表でランペット4速工場エンジンの提供受けながら、予選は通過したものの決勝時は猛烈な濃霧のレースになり、なす術もわからず次から次と抜かれてしまい完走こそしたものの良い所無しで終わりました。

しかしその翌年昭和39年の春は、晴れてカワサキワークスの一員としてMCFAJ第10回全日本MX選手権朝霧高原に颯爽とカムバックしました。
カワサキワークスは125cc一機種しかなくそれを使ってオープンクラスの2レース参加である。

そのオープンクラスで、全日本参加二度目にして奇跡的と言おうか荒井市次さんを抜いて優勝を成し遂げたのです。
その後のレース活動への影響が計り知れないほど私にとってもカワサキにとっても記念すべき優勝であったと思います。

その年の秋の全日本MX丸野山高原(伊豆)では125メーカー選手権で久保、荒井、三次のMX御三家を抜いて優勝しました、マシンは125ツインエンジンでした!

そこで私も秘蔵の写真を公開致します。
その大会にカワサキのヘリコプターKH-4でミス修善寺が飛来大会会長の新井広武氏に花束贈呈のスナップです。


西に東に走り回っていた若き頃、木曾路のドライブインでのスナップです。当時すでに戸建の住まいだったので、土産に唐松の苗を手に。


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| 60おじさん! | 「懐かしのモトクロス思い出」シリーズ | 14:02 | comments(5) | - |
第2回「モトクロス日本グランプリ」
初出場の64’MFJ第1回「モトクロス日本グランプリ」(相馬ヶ原)はKawasaki勢にとっては散々な目に終わったが、ここ名古屋の東山特設コースの65’MFJ第2回MX日本GPでは大きな飛躍を認められる結果が出た!

激戦の125クラスで、NEWフレームB8ツインプロトエンジンでSUZUKI SBツインやYAMAHA YA-6シングルと熾烈なトップ争い中。後ろのゼッケン7はスズキの鍵選手の様である。



最終結果3位入賞でKawasaki初のグランプリ表彰台に立った山本隆
の華麗なライディングとKawasaki B8ツインモトクロサー


詳しくは序盤トップをKawasaki歳森が快走していた、しかしながら不運にもマシントラブルが発生しスローダウン。
その後を受けてKawasaki岡部がトップ走行する、そして山本と続いていたはずだったが?最終的にはヤマハの荒井市次が優勝 2位岡部能夫 3位山本隆 4位歳森康師。

結果はモトクロス界の荒武者!荒井市次さんに64年秋の朝霧高原の雪辱をさせてしまったのですが、巧く行けばKawasakiが表彰台を独占する勢いだったのです!

当時モトクロスワークスマシンは125も250も2サイクルツインが主流だったのが、ヤマハのYA-6は単気筒だった。
カワサキも市販のB-8単気筒の次なる開発が始っているのである。
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| 60おじさん! | 「懐かしのモトクロス思い出」シリーズ | 03:10 | comments(7) | - |
MCFAJ 日本選手権MX 思い出の名場面!
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1960年代前半あたりの国内レースはほとんど、「全日本モーターサイクルクラブ連盟」MCFAJ系であった。

勿論MX・RR・TR各カテゴリー別に開催されていて、ダートトラック・ドラッグレースも開催された。

MXでは全日本選手権(現MFJのGPと同じ)が春と秋の年2回開催されて、春は朝霧高原で秋は伊豆の十国高原、丸野山高原などで開催されていました。

現在の様な全日本選手権シリーズは無かったが、それに近い形で東北から九州まで各地で毎年恒例の開催があり各ファクトリーチームが激突していました。

各選手の技量別(当初は無し)と排気量クラスが50、90、125、250、オープンの5クラスあり、さらに参加者の多いクラスでは予選が行われ、次々とレースが消化されていました。

私の中央メジャー初参加したのは、1963年の第9回全日本MX十国高原でした。プライベートでしたが、トーハツランペット50の4速ファクトリーエンジンでした。

岡山のチームメイトの熊沢君とマツダオート三輪(丸ハンドル)で意気揚々と参戦したのを歓迎してくれたのは、名物の濃霧でした、ほんとに目の前のコースが見えないくらい濃くてスロットルを廻せないでもたついている横を慣れてる関東の選手は追い越していきました、それでも予選を通過したのでトーハツファクトリーテントで決勝に向けての整備を受けました。
メジャーデビューの結果は12位で終わりました。

翌年1964年第10回全日本朝霧高原にはカワサキファクトリーチームの一員になっていました。

続く次回の速報です!オープンクラスで見事初優勝!


めずらしい生駒テックでのグリッドスタートMXシーン(コース幅が狭い為)オープンクラス、ゼッケン271マシンはカワサキB-8Mです、他にホンダ125ツイン、CL72、BS50・90等など。


どこかで快走のB-8M125ツイン!ワークスマシン、初号機でプレスフレームです!


これは少し後半の時代で、明石の生産全機種集合写真、ポスターか何かの・・・モデルは筆者です。
| 60おじさん! | 「懐かしのモトクロス思い出」シリーズ | 02:25 | comments(4) | - |
全日本選手権 思い出の名場面!
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話が前後しますが、懐かしい顔ぶれが写っている写真が出てきました。
1967の4月第4回モトクロス日本GPで大変お世話になった福島カワサキ前での記念写真です。
後列カワサキ看板サの字の下に歳森康師その後ろに増田耕治の顔が見えます、ウイングマーク下に筆者。
前の方には梅津次郎、岡部能夫、星野和義その他ワークスメカニック、福島カワサキの方々に混じって、糠谷監督、大西マネージャーや明石運輸の運転手まで全員集合です(爆)
さらにMFJ本部事務局の女性達も揃っての貴重なショットです。



先週に続いて68年第5回日本モトクロスGPの名場面です。90ccクラスの序盤シーン、ヨーロッパ土産のクロムウエルヘルメットにGP-MXピークと流行の風防めがねをセットし先頭を走るカワサキ山本隆、同じく星野和義、スズキ吉村太一、やや空いて同じく木村夏也と繫がっている。




この年の5月から6月にかけてMFJ最優秀ヨーロッパ海外研修を終えたばかりで、帰国後7/7の第6戦岡山大会の125ccで優勝の余勢を駆ってこの第7戦日本GPに挑みました。
シリーズ戦の一つではあるが日本GPはやはり特別である。
残念ながら本命の250ccクラスでヤマハ鈴木忠男に1位を譲ってしまった事である。
レース後ダウンチャンバーが、ぺしゃんこ発見!以後ダウンチャンバー使用禁止発令。
写真は土浦谷田部コースでの忠さんとのバトルシーです。


68年度ランキングは、90cc3位、125cc2位、250cc1位で、67年に続き2年連続チャンピオンの座を手にする事が出来ました。
| 60おじさん! | 「懐かしのモトクロス思い出」シリーズ | 00:29 | comments(9) | - |
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1964年にMFJの第1回モトクロス日本グランプリが、群馬県の相馬が原特設コースで行われた。

これまで地方のモトクロスレースを荒しまわった、Kawasaki赤タンクチームも、いよいよ桧舞台である。

125クラスにツインエンジンで参加した我がKawasakiチームは散々な結果、誰もよい成績を残せなかったと記憶している。

この当時我々は、無我夢中で何もわかっておらず、エンジニアもライダーも、先輩・名門達に早く追いつけ追い越せで、必死だった時代である。

パワーが欲しいばかりに、トルクの無いツインエンジンを求めていたのである!
これは、他のメーカーも当時はそうだった。

また、ライダーの装備も今では考えられない、ロードレース用の皮ツナギに、後ろファースナーのレーシングシューズだった。
特に若手の選手がこのスタイルを好んだように記憶している。

初代MX御三家の、三吉、久保、荒井のお三方は確か編み上げのタンク底ブーツを使用されていた様に思う。

その後、櫛谷製の本格MXブーツが開発されてきたのである。

少しずつ懐かしの思い出を探してみる事にします。

当時よく走った加古川の河川敷で、星野、歳森と雑誌の写真撮りシーン。


同じ所で、皮ツナギの上に作業服着用して、何と無く欧州スタイルに?


時代は進み68年第5回MX日本GP手稲オリンピア特設コースで、後方は星野和義(写真の縮小が変になりました)
| 60おじさん! | 「懐かしのモトクロス思い出」シリーズ | 01:43 | comments(3) | - |


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