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1965年5月3日はあいにくの雨降りだった。
SUZUKAサーキットが62年にオープンして、年に一度の世界グランプリ大会のみでは選手の育成が出来ない、と言うわけで始ったのがジュニアロードレースだったのです。
本業モトクロスライダーの私がロードレースに参加したのは深い訳がありました。
64年シーズンオフに、ブリジストンファクトリーに移籍の話が纏まり、仮契約まで漕ぎ着けていたのだが、ある人物の一声で元の鞘に納まってしまったのです。
BS本社での話の中でロードレース参加も盛り込まれていたことが気になり、カワサキも参加しましょうと会社に呼びかけました、しかしひそかにグランプリマシンを開発している会社の返事はNOでした。
そこで私は、自費で購入してでも参加しますと決意を表明しました所、当時係長辺りだった田崎さん(現、川重会長)が「山本君、私に任せなさい」と言って新車の85-J1Tを調達してくれたのです。
それからはロードマシン作りにモトクロス職場で大勢の人達の協力
を得て1台のレーサーが出来上がりました。
名門 神戸木の実クラブからカワサキでは私一人の出走です、なぜか歳森も金谷も出ていません。
終始雨の中、佐藤実(H)鈴木義治(H)滋野靖穂(BS)に続いて4位につけていました私は、最終周に3位に抜け出て、表彰台に上がりました。
Kawasakiマシンが憧れのスズカロードレースに初参加で初入賞したので上に下えの大騒ぎになりました!
私は帰社後、三研に呼ばれ、ひそかに見学に行かれていた、GPマシン研究開発者の大槻氏から、雨中の冷静沈着なレース運びを大いに買われてしまい、GPライダーへの誘いを強く受けましたが。
私にはMXと言う大事な使命があると丁重にお断りしました(爆)
もし受けていたら、世界チャンピオンか!はたまたホッケンハイムリンクの露となっていたかもしれません?
この日最大の出走台数と熾烈なトップ&三位争いが展開され話題になった90ccクラスのスタートシーン。この写真は当時のモーターサイクリスト誌から拝借したものです。6番手ポジション(二列目IN側より)が筆者です。
表彰後の月桂冠を着けて喜びの藤原・水町・吉田メカと共に。
若かりし頃のロードライダー足長でスマートだったのに写真の縮小失敗で台無しです!(笑)
ゼッケン番号からして、別のレースの様です。
ウオーミングアップシーン、ゼッケン19が筆者です。