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1960年代前半あたりの国内レースはほとんど、「全日本モーターサイクルクラブ連盟」MCFAJ系であった。
勿論MX・RR・TR各カテゴリー別に開催されていて、ダートトラック・ドラッグレースも開催された。
MXでは全日本選手権(現MFJのGPと同じ)が春と秋の年2回開催されて、春は朝霧高原で秋は伊豆の十国高原、丸野山高原などで開催されていました。
現在の様な全日本選手権シリーズは無かったが、それに近い形で東北から九州まで各地で毎年恒例の開催があり各ファクトリーチームが激突していました。
各選手の技量別(当初は無し)と排気量クラスが50、90、125、250、オープンの5クラスあり、さらに参加者の多いクラスでは予選が行われ、次々とレースが消化されていました。
私の中央メジャー初参加したのは、1963年の第9回全日本MX十国高原でした。プライベートでしたが、トーハツランペット50の4速ファクトリーエンジンでした。
岡山のチームメイトの熊沢君とマツダオート三輪(丸ハンドル)で意気揚々と参戦したのを歓迎してくれたのは、名物の濃霧でした、ほんとに目の前のコースが見えないくらい濃くてスロットルを廻せないでもたついている横を慣れてる関東の選手は追い越していきました、それでも予選を通過したのでトーハツファクトリーテントで決勝に向けての整備を受けました。
メジャーデビューの結果は12位で終わりました。
翌年1964年第10回全日本朝霧高原にはカワサキファクトリーチームの一員になっていました。
続く次回の速報です!オープンクラスで見事初優勝!
めずらしい生駒テックでのグリッドスタートMXシーン(コース幅が狭い為)オープンクラス、ゼッケン271マシンはカワサキB-8Mです、他にホンダ125ツイン、CL72、BS50・90等など。
どこかで快走のB-8M125ツイン!ワークスマシン、初号機でプレスフレームです!
これは少し後半の時代で、明石の生産全機種集合写真、ポスターか何かの・・・モデルは筆者です。