ご面倒ですがランキングの為クリックお願いします。
1964年にMFJの第1回モトクロス日本グランプリが、群馬県の相馬が原特設コースで行われた。
これまで地方のモトクロスレースを荒しまわった、Kawasaki赤タンクチームも、いよいよ桧舞台である。
125クラスにツインエンジンで参加した我がKawasakiチームは散々な結果、誰もよい成績を残せなかったと記憶している。
この当時我々は、無我夢中で何もわかっておらず、エンジニアもライダーも、先輩・名門達に早く追いつけ追い越せで、必死だった時代である。
パワーが欲しいばかりに、トルクの無いツインエンジンを求めていたのである!
これは、他のメーカーも当時はそうだった。
また、ライダーの装備も今では考えられない、ロードレース用の皮ツナギに、後ろファースナーのレーシングシューズだった。
特に若手の選手がこのスタイルを好んだように記憶している。
初代MX御三家の、三吉、久保、荒井のお三方は確か編み上げのタンク底ブーツを使用されていた様に思う。
その後、櫛谷製の本格MXブーツが開発されてきたのである。
少しずつ懐かしの思い出を探してみる事にします。
当時よく走った加古川の河川敷で、星野、歳森と雑誌の写真撮りシーン。
同じ所で、皮ツナギの上に作業服着用して、何と無く欧州スタイルに?
時代は進み68年第5回MX日本GP手稲オリンピア特設コースで、後方は星野和義(写真の縮小が変になりました)